つぎのもの

かたちになる前のなにか

Something new is wonderful.

思い出作ります

 人は現在を生きるとともに過去も生きている。私たちにとって現実とは、それまで生きてきた人生の経験の積み重ねの最上部にあるものだ。これまでに経験してきたことではないと見ることも感じることもできない。美しいものを感じた経験のある者だけが美を語ることができる。美味いものを食べた喜びがなければ食に感動することはないだろう。
 過去の経験が現在に影響を与えているのなら、過去を豊かにすることが現在を豊かにすることにつながる。でも過去を豊かにすることは容易ではない。もう終わってしまっているのだからどうしようも手の施しようがない、はずだ。
 ところが、最近この点を解決すると称する企業が生まれた。「あなたの思い出を作ります」「完全オーダーメイド」「どんな思い出もできます」「迷ったらこれ。幸せ思い出セット取り揃えております」などといかにも胡散臭い宣伝文句を並べ立てている。この企業は脳科学の最先端の知見を利用して、人の過去の記憶を人工的に作り出すことに成功したという。記憶喪失というのはあるが、これは記憶創出だ。
 例えば過去に海外旅行をしたことがあるという記憶は思い出としては良質なものだろう。さらに超高級ホテルに泊まり豪華な食事をした。旅先での出会いなど、いろいろな要素を取り入れて過去の記憶を創作し、一連の記憶パッケージとしてまとめる。それを脳のある一部に特殊な刺激で伝達すると、あたかも本当にそれを経験したかのようになるのだ。過去を作り出したのである。
 思い出がその人の現在の在り方にも影響を与える。よい思い出を得た人は現状に自信が持てる。そして場合によっては訪れる困難にも作り出された過去の経験を拠り所として今をたくましく生きることができる。
 困ったこともある。思い出と現在のあり方があまりに乖離している時、脳が異常に暴走を始め大混乱に陥ってしまうことがあることだ。精神的な疾患を発症するケースまであるという。思い出創作のサービスはまだ始まったばかり。これから何があるのかは分からない。ただ未来を作ることは難しいが、過去を作ることはできる、のかもしれない。