つぎのもの

かたちになる前のなにか

Something new is wonderful.

若さの素

 加齢による様々な弊害は避けられません。人もまた無常の法則に従うものであり、科学の成果を持ってしても決して抗えるものではありません。ここ数年でアンチエイジングの技術に飛躍的な発展がありましたのはご存知のとおりです。しかし、これとて完全な解決策にはなっておりません。
 かつて我々の先祖は80年ほどの寿命で生きていました。100歳まで生きる人は少数で、しかも日常生活が自力で行える年齢となると70歳代くらいまで下がってしまっていたとか。そんな短い人生を生きていた時代に高齢化社会という名がついていたのは皮肉です。
 現在我が国の平均寿命は150歳前後ですからその半分しかなかったことになります。短い人生を健気に生きた先祖の記録を読み返してみると、何とも感動的でしかも残酷です。
 その当時の人は65歳をすぎると高齢者と呼ばれ特別扱いされ始めます。多くの企業は定年といって解雇をし、給与は下がってしまいます。なかにはまだ元気な人もいましたので、日雇いや短期的な雇用で働き続けることもありました。今と違って人生の晩期になると急速に体力や気力が損なわれますので、若い頃の活力はもうなくなっています。それでも働き続けていたのです。多くは家族のために、そして本質的には自分のために。
 現在は若さを回復する様々なサプリや医療が展開しているので130歳を超えても見た目は若い頃とまったく変わりません。30代くらいの身体が維持されています。昔の人がこれを知ったらどんなに羨むことことか。
 ところが140歳を過ぎた頃から悲劇がます。前兆がなく突然意識がなくなり始まり、そのまま息絶えてしまうことが多く見られるのです。なぜ死に至ったのかまだ解明できていません。科学者はおそらく生命としての限界点があって、それだけはいかなる作為をもはねのけてしまうのだといいます。
 現状では生命の無常を乗り越えることはできません。人々の死に対する考え方も変わってきました。人生は自分の預かり知らないところから始まり、突如終わる。そこに理由はない。あるとしたら人間が神の創造に挑戦し、今のところは屈しているのだと。まだ敗北は認めていないのが私たち人類なのです。