つぎのもの

かたちになる前のなにか

Something new is wonderful.

励まし屋

 彼は超一流の教育者だ。でも何も教えていない。国語とか数学とかそういう専門はない。第一彼自身がそういう科目は苦手だ。ろくに文章も書けないし、簡単な方程式さえ書けない。でもかれが一流の教育者であることは誰もが認めている。
 彼は大学を卒業できなかった。教育学部に入ろうとして試験に3度挑戦し、3度失敗した。卒業できなかったのではなく入学できなかったのである。でも、彼はその後、働きながらいろいろな経験をした。肉体労働もした。ほかの人がやりたがらない3Kもやった。他人には言いたくないちょっとやばい仕事もした。いろいろやって気づいたことがある。彼は自分自身の成績は良くなかったが、周りの人をやる気にさせることができた。やる気を引き出す能力があったのだ。
 最近は教育界もずいぶん変わった。かつては先生と呼ばれる超越者が教室を支配していたが、もうそういう存在を重んじる人はいない。AIで動作する教育ロボットが生徒一人一人の能力に合わせたカリキュラムをまさに臨機応変に展開するからだ。効率的なやり方で学力の増強を短時間で達成できる。偏屈な教員などもういらないのだ。
 それで何が残ったか。それは生徒を励ます役目だ。ファシリテーターなどという名前も付けられたことがあったが、要するに励まし屋だ。これはまだAIにはできない。何しろ最高のプログラムを用意しているのにやる気にならない生徒などAIには想定できないからだ。そこを彼のような励まし屋がうまく乗せてくれる。彼はAIロボットの前に生徒を連れていく役目をするだけである。傍から見るとお調子者の太鼓持ちのようにも見えるが、それがまだ教育界に残されている数少ない人間の役目なのだ。